Un amigo tradujo “Las fieras” de Roberto Arlt al japonés. Conocí este texto por él (una prueba de su devoción y profundo conocimiento de la literatura argentina) y me dejó totalmente fascinado; es, sin dudas, un ejemplo representativo de toda la literatura del autor. Ojalá pueda publicarlo pronto.
翻訳者 Yuya Takagiwa 2017年7月22日
こういうダメ人間の短編小説をどう論じるかが一か月の問題です。ほぼ素人の翻訳ながら、専門のわりと重要な短編小説だと思うので掲載しました。お時間あるときにご一読いただければ幸いです。
「獣ども」(1928) 試訳 ロベルト・アルルト
(Roberto Arlt, Las fieras, en Cuetos completos, Buenos Aires: Editorial Planeta, 1996, 55-66初出: Vértice, noviembre de 1928)
道に迷った男たちやらコソ泥たちやら人殺しやらひび割れた石灰のようなあばたまみれの女たちの間で、日ごと日ごと、おれが沈み込んでいるザマをお前には決して伝えられないだろう。たまに自分がたどり着いた境遇に思いをはせると、まるで脳髄の中で馬鹿でかい黒いハンカチがはためいているような気分になって、夢遊病者のように歩き回りながら、おれが身を持ち崩したいきさつは、見たこともないような夢の中で巨大な建物の中にはめ込まれているようなものだと思えてくる。
だがおれは長いこと堕落したままだ。おれにはのらくら動く歯車から逃げ出す力は残っていないし、夜が来るごとおれは売春宿の部屋のくぼみに深く沈み込んでいく。そこではおれによく似た薄汚い退屈した男たちが指の間にトランプをはさみ、黒やら緑のコインを不承不承動かしている。そのあいだ時が水とともに滴り落ち、おれたちの心の中のみすぼらしい水瓶に溜まっていく。
仲間の連中にお前のことを話したことはない。話すこともない。
お前の存在を伝えたただ一人の女がいる。タクワラだ。巻いた札束をバッグに詰め込んで、明け方の四時過ぎあたりに部屋に戻ってくる。漆黒でまっすぐ伸びた髪に、やぶにらみの目はいかがわしい。低い鼻のついた顔は丸く、石炭の滓をまぶしたような色をしている。タクワラには欠点がある。新聞の「社交界」の欄をを愛読していることだ。美点もある。オレンジを荷積みする男たちが好かれていて、サン・フェルナンドの川沿いの男たちにも好かれていることだ。
タクワラがマテ茶を飲んでいる間、おれはベッドに足を拡げて、永遠に失ってしまったお前のことを考えている。
日ごと日ごと、俺が身を持ち崩しているザマをお前に伝えることは難しい。
年を追うごとに俺の人生の上に重苦しい惰性のタイルがのしかかってくる。悪辣なものごとやら吐き気を催すような事態だって俺には当たり前だし受け入れられる。幾夜も過ごした独房の壁を思い出すのも奇妙なことだとは思わない。
だが底辺の連中と混ざったからといっても、おれほどこいつら獣どもと離れて生きている男はいない。おれはまだ連中の仲間になれない。奴らの一人が管理している不幸な女を殴って使い物にならなくしたり、意味のない野蛮な行為を働いたりして、それをしでかしたというだけで自惚れに浸っているのを見ると笑えてくる。
何度もお前の名前を呼び唇を動かした。ヌエバ・ポンペヤの教会で、一緒に過ごした午後を思い出す。聖具保管係の犬のことも。犬は鼻面をひくつかせ、のろのろベンチの列の間をぬうように教会のモザイクの上を歩いたっけ。けれどそれも何百日も前のことだ。おれは奥底、海抜の果てしなく下の都市に住んでいるような気分だ。この人間以下のどん底には石炭のかすみがずっと漂っている。時折自動小銃の破裂音がするが、あたりの人間はなにも起こらなかったようにすぐさま各々の仕事に戻っていく。
おれは自分の名前も変えた。だからあたりの連中にお前がおれのことをたずねても誰もどう答えていいかわからないだろう。
だが、おれたちは同じ都市の、同じ星の下に暮らしている。
もちろん違いはある。おれは一人の売春婦からカネを巻き上げている。筋書は決められていて、おれは銃弾で背中を撃ち抜かれて死ぬだろう。おまえはいつか銀行員か予備軍の准尉とでも結婚するだろう。
お前のことを思い出すのはおれが生きるはずもなかった人生のありようを映し出すためだ。恐ろしいことだがとある堕落した生き様に判が押されると、選択の余地はない。受け入れるだけだ。
お前との思い出が爆発した。独房の片隅に放り出され、熱で震えていた晩のことだ。傷はつかなかったがゴム鞭で何度も打ち付けられ、熱にうなされると、目の前に身の破滅の光景が広がっていた。
映画のフィルムの切れ端のように灰色がかって、タクワラと一緒に田舎の売春宿へ初めて行った時のことを思いだした。それは午後の一時のことで、埃にまみれた物憂げな通りへとおんぼろ車がおれたちを連れて行った。太陽が売春宿の赤い壁を照らしていて、レンガ造りの壁にはめられた鉄板の扉の前には小便の水たまりと馬を繋ぐ柱があった。風がガス灯の柱をきしませていた。
忘れもしない。ユダヤ人の女衒は女の一週間分の仕事の前金の五〇枚の鉄板をおれに渡した。そのあとおれは政治家と警察署長にあいさつに行った……。監獄のポルトランドセメントの床の上で横になっている間、この裏の手を使ったことが頭をよぎった。ある時おれは死を感じた。目を半分開け、壁のまた壁に囲まれている壁、セメントの下に掘られている地下の地下を見つけた。おれの人生は独房の奥で一世紀の時を一瞬で過ごした。おれによく似た他の男たちは、ゴムで鞭打たれ肺を傷つけられていた。酷い苦しみの楔が脳髄を二つに割った。おれたち、虐げられているものや虐げているものの獰猛さの彼方に、灰色の角ばった石の硬さの彼方に、おれは、お前の青白い顔と、お前のアーモンドに似たオリーブの実のような目を見つけた。
それは頭をしたたかに打ち付けた。お前の顔をあんなに鮮やかに思い描くことなど、目を覚ましている間にあったためしはなかった。錯乱して意識が朦朧とする中お前の顔が鮮やかに浮き上がった。しかしすぐさま、またあの責め苦に遭うのかと思うと体に寒気が走り、残酷な尋問のことへと意識が飛んだ。警察はおれとは関係ない女殺しの一件でおれに殴る蹴るの仕打ちをくわえて尋問していた。
おれは釈放された。だがまた後になって捕まった。
影にはお前の思い出が残り、そして暮らしには一匹のメス犬のように忠実な、混血女のタクワラがいた。
タクワラ! タクワラとならどんな場所にでも行くだろう。
タクワラのおかげで田舎の売春宿の米の粉の臭いに混ざった汚らわしい退屈を覚えた。主人の女はスリッパを履き部屋の床に灰をかぶせる火鉢に手をかけている。目やにだらけの一〇人の売春婦たちの手から手へゆっくりとマテ茶が回る。窓の割れたガラスは食器棚の鉄格子に取り換えてられていて、そのせいで風が吹けば木でできた雨戸が揺れる。外からはトウモロコシの袋を山のように積み巨大な車輪を回す荷車の音が聞こえる。黄色い大地の大きな雲に包まれた八頭の馬の耳元で鞭打つ音が鳴る。
タクワラとならどんな場所にでも行くだろう。
タクワラについて田舎の南を回った。バイーア・ブランカ、マルコス・フアレス、アスル、そこからサンタ・フェのロサリオ、コルドバ、リオ・クアルト、ビジャ・マリア、それからベル・ビルへ。
政治家に手を回してもらい、おれは賭け事に手を染めた。ある時はおれのただ一人の女が男全員の相手をする宿の近くの居酒屋で牛の腸やら肉やらを焼いたパリージャ・クリオージャをもてなした。
船に乗って旅もした。
パラナ、コリエンテス、ミシオネス。サンタ・アナ・ド・リヴラメント、リオ・グランヂ・ド・スル、サン・パウロへと。サン・パウロでは国境警備隊が追放措置を取り、おれは貨物列車に投げ込まれ、わき腹が三本折れた。リオ・デ・ジャネイロへと着くと、タクワラはラランジェイラスの売春宿に身を置いた。石でできた家の正面にはマリアとキリストのモザイク画が飾ってあり、そのモザイクの下には電球が灯っていた。壁にくぼみがつけられ小屋のようになっており、腰ほどの高さに垂直の鉄柵が設けられていた。そのくぼみを電球が照らしていた。この壁龕にタクワラは銅像のようにピンと立ち、五時間も見張りの真似をしなければならなかった。そそられた男たちは鉄柵越しに女の肉の柔らかさを確かめるために女に触ることができるようになっていた。売春婦たちが数えきれぬほどひしめき、椰子の木とハシラサボテンで復活祭を祝うあの街区では、浮かれた男や船乗りたちがナイフで流血沙汰を起さぬよう、警察予備隊がカービン銃で武装して秩序を守っていた。
おれたちはブエノスアイレスに戻った。
おれはコリエンテス通りが懐かしかったし、タクワラはサン・フェルナンドの囲いにあるオレンジの匂いのする寝室と、甘い菓子と、デルタの果物を積む箱を作る職人たちのノコギリをひく単調な響きを恋しがっていた。
そしておれは日ごと日ごとに沈み込んでいき、このカフェ、アンボス・ムンドスの片隅に通うようになった。ここでは五人の男が集まっている。キプロス男、泥棒ギジェルミート、金の爪、時計屋、キャベツ小僧だ。
夜になると憂鬱な顔をして集まり、ガラス窓の脇のテーブルで席に座り、レコード係の娘に軽く挨拶をし、一杯のコーヒーを頼み、各々座った場所で何時間も何時間も悲嘆にくれたような顔でガラス越しに通りの人々を眺めている。
このかつて人間だった男たちの目の奥には灰色のもやが溶け込んでいる。各々が自分の中に説明できない謎や、意志のシステムが、まだ分類不可能な壊れた神経をみつめている。これが連中を糸の切れた人形のようにしていて、その倦怠はいつ果てるとも知れぬ沈黙に翻訳される。誰も観察などしていないが四人の間で二〇の単語も話さなかった日が幾度となくあっただろう。
あれやこれや手は違うが、おれたちは全員盗みを働いたことがあった。捕まったやつもいる。男たちは、もれなく一人の女の人生を台無しにしていた。だから沈黙は退屈と苦悩の悪夢を暗く擦れた音とともに魂から魂へと通す通達管だ。
はからずも人でなしの思い出を刻んだしかめ面をして、この恐ろしい絶望を抱えているとやがて皮肉で苦痛に満ちた醜い仮面を装うことになる。
おれたちはろくでなしだ。何から話したらいいだろう。
たとえば、黒人のシプリアーノだ。
シプリアーノはチョコレートのマスコット・キャラクターのようにずんぐりとした体躯をしている。
男は売春宿で働いていたことがあった。鼻高々に白いスーツを着て、ヒモ男や美人局連中が集まった場所で銀の皿にのせたアナゴの料理を供していた。はっきりとは言わなかったが、男はあの頃のバラ色の光景を思い起こすとうっとりした気持ちになっていた。
涙で目が潤み、血眼になっていたから、そのことはよくわかった。支配人の女に信頼されていた時のことを甘く思い出していたのだ。女主人はケープのレースの間からはちきれんばかりの乳房をのぞかせており、老齢の恐ろしい行政官や権力者たちの貪欲な性欲に奉仕させるため十四歳以下の娘たちに売春をさせていた。後にシプリアーノにいくら稼いでいたのかを聞いたのだが、シプリアーノは幸福で、売春宿では信頼を置かれた人物だったとだけ答えた。奴も泥をかぶらずその地位にまで上り詰めたわけではない。チョコレート色の瞼を眠そうに開き、顎を腕にのせた、シプリアーノは密林で眠るワニのように黄色い目で幻のような過去にしがみついていた。ポーランド人やマルセイユ人の密輸商人やでっぷり脂ぎった美人局連中や死刑執行人のように容赦ない男たちとのパーティー。
この男たちは七面鳥の頭より赤いうなじをしていて、金色の巻き毛が鼻の穴やら耳の穴から飛び出ていた。
連中は育った国を心の底から軽蔑していた。役立たずの警察に雇われた人間の顔には唾を吐いていたし、有力な政治家たちには嫌味なウィンクをしながら小切手を渡し買収していた。
シプリアーノはいろいろなことを知っていた。年端もいかない若い男に性的に暴行を加えたり、マルティニークの船乗りたちと寝ることがなにより甘美なのだと、思い悩んだときにはそう口にした。
だが奴は無邪気な野獣のように陽気に笑う。
売春宿の料理人、シプリアーノが、なまいきな売春婦たちの尻を鞭で打ちつけ紫色のあざを作る役を仰せつかっていたとは誰も想像できまい。調教した女たちのことを思い出すと、キプロス男は湿地の葦原の泥水を吸ってうっとりしたカバのように笑う。
もっと甘美な思い出に包まれると微笑みが止まる。犯した少年のことを思い出す。雑居房での話だ。五人の泥棒連中が少年を床に転がす。口をふさがれ、縛られた少年の身体は電流が流れたように痙攣し、はらわたが痛むあまり叫び声がもれる。列に並んだ男たちがズボンを手で押さえながら順番を待っている間、少年の身体は恐ろしい痛みに穿たれ、身体を弓なりにしならせる。その後、気を失い倒れる。
誰かが奴をからかうために、お好みなのはなんなのか、娘っ子か、泥棒野郎か尋ねると、大男を気絶させたことが自慢のシプリアーノは、目を半ば閉じながら、歯を軋ませる。海辺の沼地でまどろむワニのように、汚らわしいものを欲しがった。とても満足しているときだけ、マルティニークの甘美なフランス語で何かを語る。そうではあってもキプロス男は熱心なカトリック信者で、教会の前を通るときは敬意を示して帽子を取る。
苦しそうにせき込みながら、何度かおれたちのテーブルにコソ泥で梅毒持ちのアンヘリート・エル・ポルティージョが座ったことがあった。
年は三〇ばかりで、そのうち一〇年は監獄の屁の中で過ごしていた。いつも同じのありもしない違反、「武器携行」で捕まることにうんざりしていた。
やつは悪い連中に引き込まれて身を持ち崩した。
腹が立った時のアンヘリートはどもりながら言葉を話す。目の上にある帽子のつばを深くおろして、チェスの厄介な問題に夢中になり、チェッカーのチャンピオンだったことを自慢する。そのこと自体はそのように思えたが、頭に浮かんだ妙案を話すときには、少々馬鹿げた手順を踏んでことを説明した。例えば、暗く残忍な泥棒の「日本野郎」のことを話す。男はいつもナイフの鞘を抜くとき流暢な言い訳をぶちまけるのだという。
「奴は娘っ子さ。」
アンヘリートが言う「娘っ子」とはいったい何を意味するのか、たしかに理解するのは厄介だった。
アンヘリートの体調がよくて監獄にいないとき、奴は「日本野郎」を連れて一時の間街からは離れた。二人は内陸部へ行き、インチキで人をだましたり、緻密な策略を練ったりした。というのもアンヘリートはただ単に専門技能をこなす放蕩者とは違って、なんでもこなす詐欺師だったからだ。
今のところアンヘリートは身体を壊し、旅行には出ない。
奴は何時間もこめかみをガラス窓に当て、通りを見ている。通りを歩く警察は、奴が病気で、盗みを働かないのを知っているから、奴のことを逮捕はしない。それどころか、とある警察官は奴にあいさつをして、アンヘリートは微笑を浮かべて重々しい動作でそれに応える。奴が言うには、「品行方正な人々の配慮の間で死ぬとわかるってことが慰めだ。」と。日ごと日ごと、おれが沈み込んでいるザマをお前には決して伝えられないだろう。
おれたち一人一人は寂しさのくだらない残滓たる恐ろしい思い出を胸に抱いている。昨日、今日、明日と。
俺は日ごと沈み込んでいる。
頭の働きを放埓にするこの現象をどう説明すればいいのだろう。露骨になった全てのあきらめの中で、汚物で塗りたくられた感情がおれたちを打ちのめすというのに。だから罵り言葉が顔にへばりついている。そして俺たちは女の顔を見るたびに、平手打ちを食らわせたくなって疼く。あの人生の十字路で、俺たちの人生を台無しにした一番気高く美しい女が、おれたちとともにいないからだ。この世に何の希望もなくうなだれた頭が並ぶ黄ばんだバルを覆う影の沈黙がすべてを語っているというのに、何のために話すというんだ。檻の中の獣たちは残りかすになった夢想の監獄の中にいる。だから犬みたいな退屈のせいで縮み上がった気取り顔から下卑た笑い顔をやっとこさ浮かべるというわけだ。
日々は黒く、夜は独房よりも狭い。
たまにお前の思い出が七つの星のように頭をよぎる。タクワラはおれの人生の空模様が変わったのを充てるかのように、俺をすぐさままじまじとつま先から頭の先まで見回して、まるでおれの分身でもあるかのようにこう言う。
「どうしたの?心臓でも痛むの?」
女のまっすぐな瞳はほとんど閉じていて、首を伸ばしながら、薄い唇をへの字にして、半身不随でねじ曲がったかのようなひねくれたストッキング姿で、おれにこう聞く。
「あの女のことを思い出したの?」
日ごと日ごと、おれが沈み込んでいるざまをお前に伝えることはできないだろう。きっと恐ろしい罪の後に起こったのだろう。実際、おれは切り離されていったんだ。
通りは昔のように歩く。ショーウィンドーに飾られたものを見て回るし、産業によって生まれた未知のものの前で驚いて立ち止まったりもする。
そのあと物思いにふける夜のとばりが落ちるんだが、何度ももうこの世のものではないたそがれ時の中に身を浸した。そのざまは医療的には重度の精神遅滞者だと分類されるような人間のように映っただろう。
ときどき、おれの額に、哀れな鎖につながれた物思いの中にこの世で俺を探している魂の冷たいしずくが落ちることもあった。そんな時は脊髄の隙間に寒気が走った。
そうやっておれはだんだんと身を持ち崩し、黙りこくった友情の中に身を落とすみじめなざまに陥った。かならずいるのはウニャ・デ・オロ、ピベ・レポージョと時計職人だ。
時計職人はけして口を開かない。せいぜい憂鬱そうに笑顔を浮かべるだけだ。時々「奥方」を乱暴に殴りつける。そのわけをギジェルミート・エル・ラドロンが尋ねると、時計職人は肩をすくめ、痛々しそうに笑い、長い間思いを巡らせたあげく、こう答える。
「知ったことか。おおかた俺が退屈だからだろうよ。」
ギジェルミートは身なりを気にしている。金の腕時計を身に着け、顔面パックや紫外線を浴びることにしていた。しかし額にはすぐさま皺が寄る。その痙攣はレボルバー銃に手を回す前に起こる引きつり方だ。奴はそれで生きるか死ぬかの問題を解決する。奴はけして街では盗みを働かない。いつも賭場を開こうと話をしている。奴はおれが昔そうだったように、パリージャ・クリオージャのバーベキュー・パーティーの主人になりたがっている。しかし今奴にはそのための手持ちのカネがない。奴の政治的な立場以上に馬鹿なものはない。
奴はイリゴージェンと民主主義を信じているのだ。
ウニャ・デ・オロはハイタカのような顔立ちと、緑色の透き通った瞳、尖った耳につながるこめかみのひくつきと一緒に動く顎の猫のような残忍さで、「あばずれ女」たちを口説いている。男は疲れている時、テーブルにのせた腕に頭をうずめ、カフェの男どもの中ででかいいびきを立てて眠る。
こんなに単純で、野蛮で、粗野なことを伝えて何になると言うんだ?
おれたちは沈黙の中で意志の疎通をとる。目と目を通じて、あるいは単音節に他の単音節で応える唇の動きにゆだねる沈黙だ。おれたち一人一人は暗い過去に身を浸している。その瞳は、何の気なしに汚れた隅っこを見つめる阿呆のように、一つのところをじっと動かず見つめている。
おれたちは何を見ているのか。
それはお前に伝えられない。おれが言ったところでお前のことを思い出していたことはわかっているし、俺が途方もなく哀しい深みへたどり着いたことも知っている。そして今、ウニャ・デ・オロのように掌に額を載せる……。けれども眠れない。誰を殺すのかわからないことは哀しいことだ。
カップの中でぶつかるサイコロの音が、レボルバーを一発ぶっ放したかのように突然響くと、おれは頭を上げ、毒のようなよだれを溢れさせる。生活はいつも内側も外側も同じように続いていき、この沈黙が真実で、悪い知らせを受け取るんじゃないかと思う俺たちが憩うための休息時間だ。不意にカフェにおとずれるよそ者や、電話のベルの音の間で悪い知らせをいつも待ち続けなければいけないのだから。
トランプやドミノをやったり、サイコロを転がしたり、コインを転がしたりして、何もかも忘れたふりをしながら、果てしなく続く苛立ち、「非常事態宣言」、無意識の監視、延々と瞼や瞳をひくつかせる感知できない恐怖がずっとつきまとう en un soslayar siniestro。
このカフェにふらりとやってきた客は、九〇度に開いた見えない扇の上に寄りかかって、トランプを興じる人の輪やドミノのカードの白と黒の幾何学模様の上で、この試練を必ず受けることになる。
遊びをしないときは、顎を掌の上にのせてじっと体の力を抜く。タバコが唇の先のほうでゆっくりと灰になるのだが、すると突然、思いもよらなかった刹那、鈍い苦しみが襲う。それはほしがるものを無視する奥底のノスタルジアのようなものだ。すると額にしわを寄せ……この絶望をどう説明したらよいだろう……おれたちは通りに逃げるように走り去り、寝る女に不自由しない売春婦が必ずいる部屋へと駆け込む。そして悪い夢の中で、どこから、何のためにやってくるのかわからないこの痛みをよだれを垂らしながら吐き出す。
それはおれたち皆が内面に恐ろしい退屈や言わずにいる罵り言葉やどこへぶちこんだらいいかわからない拳を抱え込んでいる。時計職人が妻を蹴飛ばしてひどい怪我を負わせたことだって、部屋の薄汚れた夜の中、まるで虫歯でぼろぼろになった歯の神経の嫌な痛みのような苦しみが、やつの心をいっぱいにしたからだ。
そして奴らがどんな言葉で呼んだらいいのか考えもしないこの苦しみが、心臓の中で爆発し、押し黙っていたやつが突然罵り言葉をぶつくさ言い始める。それに共鳴してほかの連中もそれにこたえる。すると突然、それまで眠った連中の輪のようだったテーブルが、酷い罵り言葉や理由のない嫌悪で活気づく。そしてなんの流れでか、古い昔に浴びた罵声や、忘れがたい屈辱がわいてくる。それでも連中が手を出さないのは、ちょうどいい頃合いで間に入る慎み深い男が必ずいて、乱痴気騒ぎの果てがどんなものになるかをゆっくりとした口ぶりで思い出させるからだ。
カネを払う必要のないパーティー、それは見ず知らずの連中と今まで行方がわからなかった友人たちがやってくることだ。連中は内陸部からやってくる。地方で盗みを働いてきたか、あるいは刑務所の刑期を終えたか、はたまた鉄道で強盗を働いたかだ。頭が丸坊主だろうがぼさぼさだろうが問題じゃない。連中の逸話や持ってきたカネは歓待を受けるに値する。するとカフェの店員が甘い言葉をささやく。各々の男たちが好きな飲み物をあれこれと注文する。ふいに醜悪な喜びが獣どもの心の中で爆発し、わけのわからぬ虚栄心や、悪魔のような思い上がりにつき動かされて、べらべらと話し合う。街の中心部へ女を捕まえに出かける話が始まれば、隠れていた郊外の隠れ家への追跡の話へ。グループを襲った敵との喧嘩沙汰、襲撃、罠、泥棒、家宅侵入のこと。「地方」への国内の輸送手段を使っての旅の話。監獄での話、「ベルリーナ」と呼ばれる囚人が座ることも横になることもできない三角錐状の独房の終わらない夜のこと。判事の法的な手続き。売られてしまった政治家たちのこと。秘密警察と連中の残酷さのこと。尋問、証人との面会、供述、話の組み立てのこと。罰や痛み、拷問、顔面殴打、腹を殴られること、睾丸がねじれあがること、脛への足蹴り、指を万力で挟まれること、捻じ曲げられる手、ゴム鞭での殴打、レボルバーの銃床で打ち付けられること。殺された女、連れ去られた女、逃げた女、棍棒で殴られた女の話。
いつも同じ話題だ。犯罪、買収、罰、裏切り、残酷さ。ゆっくりとタバコの煙をくゆらせる。各々の額にはいやな思い出がちかちかとしている。遠くのほうで。 すると突然沈黙がやってくる。見ず知らずの連中が、奴らをおれたちに紹介した仲間と一緒に帰っていく。
そして視線が、近くのテーブルへと動いていき、レコードプレーヤーの係をしている娘のところでそれは止まる。男の口から短く、猥雑なセリフが、まるで爆竹のように発せられ、あざ笑う顔の唇がゆがむ。男の相手をする娘はみじめなざまに陥ると皆知っていた。その上、娘につきまとう男は女に山ほどの殴打をすでに与えていた。マッチが二本の指の間ではぜると、青い煙がゆっくりと天井灯のほうへと昇っていく。
この終わることのない黒い夜に、少ない単語でどんなに多くのことが語られたことだろう。
ある時はギジェルミート、別の時はウニャ・デ・オロだ。ウニャ・デ・オロは一人の女の掌を十徳ナイフで刺し抜いたときの有様を語った。
女はウニャ・デ・オロと暮らしたがっていたので、ウニャ・デ・オロは、愛の証を示す準備があるかどうか尋ねた。売春婦のその女が、愛の証とは何かを尋ねると、やつはこう答えた。掌をナイフで貫き通すことだ、と。女はそれに応じたので、テーブルの上で掌を貫いたというわけだ。
その類の話はしばしばあったのだが、意味のない残虐さを批判してもなんにもならない。おれたち全員は、人生のしかるべき時には、退屈や苦痛からおれたちが断罪しないものよりももっと悪辣な行為をすることができるものだという点で合意していた。
実のところをいうと、容赦ない感情がおれたちの意識を重くする。きっと森や山のねぐらの中で、肉食の獣が掻き立てるのと同じ、野獣の意志だ。
そのうえ、トランプ遊びですら解決できない多くの悲しみがあることも知っている。防弾チョッキのようによく似た不快感が、敵のナイフの下でいつの日にかぶち抜かれるまで、おれたちの直観を締め付ける。あるいははるか昔に靄の中でおれたちを待っていた銃弾だ。おれたち一人ひとりには誰かが付きまとっている。
こんな有様で生き続けてきたから、呪われた人生を送ってきた、諸悪の末端でしか使い道のない野獣のこんなにも陰鬱で、口数の少ない沈黙を積み重ねるのも当たり前の話だ。
今カフェのテーブルで、黄色、白、青の光の下、沈黙は安らぎの場所だ。おれたちには少しばかりの休息の時間がいる。おれたちの黙りこくった汚辱のざま、おれたちのばかげた犯罪の数々を受け止めるために。
音楽は退屈を搔き乱す。
古いタンゴが監獄にいたときのことを思い起こさせる。別のタンゴはとある女と出会った晩のこと。別の曲は運悪くぶち当たった恐ろしい瞬間のこと。
タンゴがしわがれた音を立てると、おれたちの魂はひきつけを起こす。そして思い出す。赤く、恐ろしい、女の顔に拳をぶち込む喜び。それと不愛想な女と足を絡ませながら、人殺しのミロンガで踊る楽しみも。あるいは、おれたちの人生を始めた女が最初におれたちに渡してくれたカネのこと。女は一〇ペソ札をガーターベルトから取り出して、おれたちは喜びに震えながらそれを受け取った。女がほかの男たちと寝て稼いだカネだからだ。
バンドネオンのすすり泣きは甘美な思い出をかき乱す。ヒモ男としての生活の苦くて甘い最初の感情。女は男を探しに通りに立つ。女は三人の男とテーブルに座り、笑う。束の間の、みだらな感情。女は一晩中カフェの間を歩き回り、目の前を通り過ぎる客たちの腕の片方が見える。こっそりと伝えられるすすり泣くような言葉が期待を募らせるときのあの感情。「少し、待っていてちょうだい、あんた、もうすぐ体が空くから。」
タンゴが初めてのころの喜びの思い出で魂を飾る。全員用の女は、女がカネを貢ぐ男を連れて自慢げに歩く。人々はおれたちが通り過ぎるのを見つめる。間抜けな連中が会話のわいせつ加減にあきれる。女友達の部屋での集いで、お決まりの紹介がある。「あんたに私の旦那を紹介するわ。」
小雨の降る午後、マテを長いこと回して、隅にはレコードプレーヤー。こんもり盛られたケーキ菓子のお盆がポマードのごみ箱の間に置かれている。女が通りで商売をしているとき、四時がお決まりの別れをいう時間だ。いつもの「またね、あんた。」、いつもの「お前、警察の野郎どもには気をつけな。」。女は別れの際、いつもおかしなしぐさをする。はじめは仕事のことで痛みに満ちたものだが、意志の力をもって無関心の仮面で顔を覆い、すぐさま別の女に変わる。のろのろした売女の足取りで、通行人たちの中に消えていく。すぐさま男の脳内にはこんな思いがよぎる。「今日あいつは投獄されるんじゃないか。」あるいは「今日があの女を見る最後の日じゃないか。」
だから、カフェのテーブルの近くで沈黙を守っていると、電話の音が鳴った時、驚きで頭が揺れる。その電話がおれたちのものでなかったら、白、朱色、それか青の灯りの下で、ウニャ・デ・オロはあくびをし、ギジェルミートは罵り言葉を吐き、暗い同じ通りで泥の底にも見られないような黒さが、おれたちの目の中に入ってくる。その間、通りに面した分厚いガラス越しに高潔な女が高潔な男と腕を組んで歩いていく。
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